省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

クモハ60として典型的な経歴だった 身延線 クモハ60814 (蔵出し画像)

 これも身延線の輸送を地道に担った、低屋根化されたのを除けば、普通のクモハ60です。クモハ14置換の際に、御殿場線から転用されました。

 

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クモハ60814 (静ヌマ) 1979.5 富士電車区

 唯一のカラー写真です。他の方が撮った写真を見ると室内はモスグリーンに塗潰されていたようです。クモハ60の大半はニス塗りが維持されずモスグリーンに塗られていたようなのですが、これも他の方の写真を見ると御殿場線時代からのようです。そもそも旧形国電のペイント塗潰しは優等車を除くと、1966年に常磐線あたりから始まったらしいのですが、常磐線時代からペイント塗だったかどうかは分かりません。ただ1967年の御殿場線電化開業時に既に旧形国電はスカ色に塗られて揃えられていたようですので、転属の際に、おそらく大井工場あたりで外部をスカ色に塗りなおすとともに、新規電化開業サービスとして、当時始まったペイント塗潰しを行って送り出したのではないかと憶測します。

 

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クモハ60814 (静ヌマ) 1979.5 富士電車区

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クモハ60814 (静ヌマ) 1981 富士電車区

 1-3位側です。手前に車もあり、支柱もありですが...

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クモハ60814 (静ヌマ) 1981 富士駅

 やはり、1-3位側。沼津での交番検査から回送で戻ってきたところです。 

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クモハ60814 (静ヌマ) 1979.5 富士電車区

 連結器・54.2.13 OM の文字が見えますが、これは大宮工場製?

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クモハ60814 (静ヌマ) 1979.5 富士電車区

 MT30です。車輪はプレートではなく、スポークでした。プレート車輪は戦時中から採用されているはずですが、本車が製造された1943年はまだだったのか、端境期だったのか...

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クモハ60814 (静ヌマ) 1979.5 富士電車区

 台車の製造銘板。形式にはTR-25とあります(後のDT-12)。製造会社は川崎車輌です。

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クモハ60814 (静ヌマ) 1979.5 富士電車区

 電動発電機(MG)です。

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クモハ60814 (静ヌマ) 1979.5 富士電車区

 製造等銘板です。名古屋日本車輛昭和18年とあります。ですが、戦時中の資材不足のためかこの製造銘板だけ他の銘板よりサイズが小さいです。日本国有鉄道の銘板が誇らしげです。身延線転用時に奇数から偶数向きに方向転換されましたので、ジャンパ栓受けが台座に乗っています。

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1979.5 富士電車区 一番手前が60814
そこから奥に向かって44803, 44802, 51802...

本車の車歴です。

日本車輌製造 (60117)  1943.3.12 使用開始 東鉄 → (1947.3現在東モセ) → 1951.3 更新修繕I 大井工 →  (1954.11現在 東マト) → 1955 更新修繕II 東急車輛  → 1967.12.26 静ヌマ → 1970.7.15 改造 浜松工 (60814)  → 1981.7.1 廃車 (静ヌマ)

 本車は1943年に日本車輛で製造され、東鉄に配属されました。1947年には下十条区にいて京浜東北線を担当していましたが、1954年には常磐線に移っています。京浜東北線には63系が集中的に配備されましたので、1951年の更新修繕を機に松戸に移動した可能性が高いと思います。その後は継続して関東のクモハ60の牙城だった常磐線を走っていたようですが、1967年の御殿場線電化を機に沼津に移ります。3年後、身延線のクモハ14を淘汰することになり、御殿場線には関西から73系を迎えて、本車は身延線用に低屋根化されます。その際、偶数向きに方向転換されました。従って、床下機器は2-4位側が電気になっています。その後11年間身延線を走り、115系に道を譲りました。

 以下は他の方のサイトですが、60814の客室内や運転台の写真が掲載されています。

www.kei-zu.com-----------------

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