省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

モハ51第1次車を低屋根改造した 身延線のクモハ51808

 こちらは、身延線のクモハ51808です。元々はクモハ51007で、身延線入線時に低屋根化され808に改番されました。当初は関東向けモハ51で戦後関西に行った車両です。しかも第1次車なので、当初は半室運転台で登場しました。おそらく更新修繕の際に全室運転台に改修されたものと思われます。なお、本車の場合、乗務員室と後位の窓の間隔が2次車以降と同じになっています。これは運転台を全面的に改修し、2次車と同じ形状に合わせたものと思われます。このあたりの改造の状況は車輛ごとに異なっています。

 関東向けモハ51は全車偶数向きでしたが、関西向けモハ51とは異なり偶数でも2-4位側が電気であり、関西に行っても床下機器の方向転換は行われませんでした。こちらの写真も床下機器配置が変わっていないのが確認できます。

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クモハ51808 (静ヌマ) 1977.9 富士駅

 上の写真は、全検から出てきたばかりらしく、塗装が鮮明できれいです。戸袋窓の内側の窓がモスグリーンであること、また窓から垣間見える椅子の枠がモスグリーンなので、客室内はモスグリーンにペイント塗装されていたことは確実です。

 因みにネットに上がっている、他の方が1970年に撮られた写真(まだ未改番の51007のまま)を見ると、戸袋窓の内側の桟はベージュ色です。どうやら身延線に来てから客室内はペイント塗潰しに変わったようです。

 クモハ51の中でも比較的若い番号の車輛がペイント塗潰しに変えられているケースが多いようです。クモハ60は大半がペイント塗潰し、一方クハ47などは大半がニス塗りを維持していたようですが、なぜこのような違いが出たのか理由は不明です。

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クモハ51808 (静ヌマ) 1981 富士電車区

 なお1-3位側の写真が撮れていませんが、他の方の写真を見ると、客用ドアの形状は下記のようです。2-4位側と同じです。また乗務員室ドアの後ろの窓もつぶされていませんでした。

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最後は本車の車歴です。

1936.4 川崎車輌製造 (51007) 東ミツ → 1944.3.13 改造 大井工(41062) → 1950.5.22 大ミハ → 1952.8.4 改造・座席整備 & 更新修繕I 吹田工 (51007) → 1956.3.1 大タツ → 1961.10.1 大アカ → 1970.1.27 静ヌマ → 1970.6.11 改造 浜松工 (51808) → 1981.6.20 廃車 (静ヌマ)

 この車両は115系置き換えに伴う身延線旧形国電廃車の第1号となりました。115系置き換えは1981年7月下旬から始まりましたが、その前に乗務員訓練のため6月に115系の第1弾が富士区にやってきて、115系に留置のスペースを明け渡すため、6/12に早々と第一線を離脱、すぐ浜松工場送りになってしまいました。

 

 なお、51808 (51007) の1-3位側を撮った写真が以下のサイトに掲載されていました。

tsurikakedensha.blogspot.com

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