こちらは右運転台窓にRがついているのがアクセントとなっていた、クモハ60816です。戸袋窓を見ると内側がモスグリーン(淡緑1号) に塗られているようですので(他の方が撮られた816の写真でも戸袋窓の内側がモスグリーンに見えます)、客室内もモスグリーンに塗られていたものと思われます。首都圏(東京周辺)にいた旧形国電の大半は、いつからかははっきり分かりませんが、モスグリーンに塗られていましたので、本車も例外ではなかったかと思います (大阪では積極的なペイント塗り替えは推進されていなかったと思います)。1950年代後半に旧形国電でも全金属車両が新規製造されるようになり、また1960年以降、既存のクモハ73, モハ72に対して、全金属製車体に載せ替える工事が本格化しましたので、おそらくその進捗と合わせる形で60年代後半あたりから塗り替えが進んだようです。鉄道ピクトリアル誌の読者通信欄に、1966年に、半鋼製の常磐線の73系の中にペイント塗潰しの車輛が出てきているという話が載っているようですのでそのあたりからのようです。
身延線のクモハ60の大半はペイント塗になっていたと思いますが、常磐線末期に塗り替えられていたか、もしくは、御殿場線転属の際にスカ色に塗り替えられていますので、それに合わせて、おそらく大井工場あたりで内部もペイント塗に変えたのではないでしょうか。
2-4位側。夕日に照らされて若干赤っぽくなっています。
ここからは1-3位側です。こちら側に電気部品が来ています。
本車の車歴です。
1943.4 日本車輛製造 (60124) 東カマ → 1951.8 更新修繕I 大井工 → 1950.5.30東マト → 1954 更新修繕II 日本車輛 → 1968.3.1 静ヌマ → 1970.7.1 改造 浜松工 (60816) → 1981.11.26 廃車 (静ヌマ) #全検: 51(1976)-2 大船工
本車は戦時中の1943年にモハ60124として日本車輛で製造されました。しかし資材不足のため当初は電装されていなかったようです。1947年の時点では蒲田電車区で京浜東北線を担当していました。この時点では電装が行われていました。その後、1950年に、京浜東北線の4扉車集中化により、首都圏のモハ60の牙城となる松戸電車区へ移動します。その後、常磐線の新性能化が始まる頃に電化された御殿場線に転じます。2年後、身延線の17m車淘汰のため、低屋根化改造を受けて身延線に転じ、11年間走り続けました。典型的な関東のクモハ60の経歴だったと思います。
なお、本車は偶数向きだったことから更新修繕の際、床下機器配置の転換を受けて、2-4位側が空気側に変更されていました。
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