こちらは身延線の普通のクモハ60です。正面の通風機は原型のままで、原型の雰囲気をよく残した車両でした。
戸袋窓を見ると、内側がモスグリーンに塗られているのが見えますので、おそらく客室内もモスグリーンのペイント塗になっていたと思われます。
手持ちの写真を見ると3枚しかなく、1-3位側の写真がありません。ネットにも1-3位側を写した写真は出ていないようです。
本車の車歴です。
1942.3.30 日本車輛製造 (60079) 東鉄配置 → (1947.3現在 千ツヌ) → 1953.12 更新修繕I 汽車会社東京支店 → 1954.5 東マト → 1967.12.14 静ヌマ → 1970. 7.11 改造 浜松工 (60808) → 1982.2.12 廃車 (静ヌマ)
本車は1942年に東鉄向けのモハ60として製造されました。1947年の時点で総武線で走っていました。1954年に津田沼区から首都圏のモハ60の牙城となる松戸に転属します。この頃、首都圏の3扉ロングシート車は主として松戸、東神奈川、津田沼の3区に集められますが(おそらく相対的に混雑度が低かったのかもしれません)、松戸と東神奈川は主としてモハ60、津田沼はモハ41が集められました。総武線は常磐線や横浜線より駅間の間隔が短いので、低出力車でも良いと思われたのかもしれません。その後13年間常磐線で活躍しますが、103系の投入開始で、1967年電化された御殿場線に転じます。その後身延線用として低屋根化改造を受け、1982年に廃車となりました。この車輌ももともと奇数向きでしたので、低屋根改造の際方向転換されました。
なお、本車は1981.8.31にヘッドマークをつけたクモハユニ44801とともに身延線旧形国電の最終運行を担当しました。
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