省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

原形の前面通風器が残っていた 身延線 クモハ60808 (蔵出し画像)

 こちらは身延線の普通のクモハ60です。正面の通風機は原型のままで、原型の雰囲気をよく残した車両でした。

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クモハ60808 (静ヌマ) 1981.7 富士駅

 戸袋窓を見ると、内側がモスグリーンに塗られているのが見えますので、おそらく客室内もモスグリーンのペイント塗になっていたと思われます。

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クモハ60808 (静ヌマ) 1981.6 富士電車区

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クモハ60808 (静ヌマ) 1981.6 富士駅

 手持ちの写真を見ると3枚しかなく、1-3位側の写真がありません。ネットにも1-3位側を写した写真は出ていないようです。

本車の車歴です。

1942.3.30 日本車輛製造 (60079) 東鉄配置 →  (1947.3現在 千ツヌ) → 1953.12 更新修繕I 汽車会社東京支店 → 1954.5 東マト → 1967.12.14 静ヌマ → 1970. 7.11 改造 浜松工 (60808) → 1982.2.12 廃車 (静ヌマ)

 本車は1942年に東鉄向けのモハ60として製造されました。1947年の時点で総武線で走っていました。1954年に津田沼区から首都圏のモハ60の牙城となる松戸に転属します。この頃、首都圏の3扉ロングシート車は主として松戸、東神奈川、津田沼の3区に集められますが(おそらく相対的に混雑度が低かったのかもしれません)、松戸と東神奈川は主としてモハ60、津田沼はモハ41が集められました。総武線常磐線横浜線より駅間の間隔が短いので、低出力車でも良いと思われたのかもしれません。その後13年間常磐線で活躍しますが、103系の投入開始で、1967年電化された御殿場線に転じます。その後身延線用として低屋根化改造を受け、1982年に廃車となりました。この車輌ももともと奇数向きでしたので、低屋根改造の際方向転換されました。

 なお、本車は1981.8.31にヘッドマークをつけたクモハユニ44801とともに身延線旧形国電の最終運行を担当しました。

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