本車も普通の身延線のクモハ51ですが、Hゴム化された運転台窓がやや小さめな点がアクセントになっていました。また関東生まれのモハ51ですので、偶数車にもかかわらず、2-4位側が電気側のままになっています。
では、本車の車歴です。
1937.3.29 汽車会社東京支店製造 (モハ51020) 東ミツ → 1944.2.29 改造 大井工 座席撤去 (41075) → 1950.9.17 大ミハ → 1951.5.15 吹田工 座席整備 →1952.3.24 改造 吹田工 (51020) → 1956.3.1 大タツ → 1966.9.15 大アカ → 1969.12.26 静ヌマ → 1970.7.11 改造 浜松工 (51820) → 1981.9.12 廃車 (静ヌマ) ※最終全検 54(1979)-9 大船工
本車は1937年に、東京・中央線向きモハ51020として製造されました。東京向きのモハ51は全車下り向き(偶数車)として製造されましたが、大阪の車輛とは異なり、1-3位側空気、2-4位側電気と固定されていました。戦時中は座席撤去でモハ41に改番されましたが、1950年に大阪に移ります。ここで座席整備を受けてセミクロスシートが復活します。さらに関東の旧モハ51と関西のモハ51では歯数比が異なり、関西では高速運転対応で歯数比が小さかったので、それを変更した上でモハ51に復帰します。なお、関西では下り向きにもかかわらず機器の配置転換は行われず、製造当初のままの配置でした。19年間関西で活躍したあと、身延線に17m車淘汰用に転じ低屋根化されます。おそらく転入直後は関西型通風器があったのではないかと思いますが、撤去されています。そして115系の導入で廃車となりました。関西で19年、東京で13年、身延線で11年走りました。
なお、客室内は窓から見えるシートの色を見ると、ニス塗りが維持されていたようです。
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