省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

後に運転台窓が改修された 飯田線 クモハ54111

 こちらも飯田線の「普通の」クモハ54で、やはり大阪向けモハ60を改造してクモハ54に編入されたグループです。

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クモハ54111 (静トヨ) 1978.4 豊橋駅

 この車両は1970年に大阪からやってきて、伊那松島区に配属されました。1978年の80系の投入でも移動することなく生き残り、1983年の新性能化まで活躍しました。

 なお、この写真では運転台左側窓がオリジナルの2段窓になっていますが、他の方が撮られた写真を見るとどうやらこの後、1段窓に改修されたようです。北部中心の運用だったので、防寒対策のためと思われます。しかし逆に、この時までずっと2段窓のまま活躍していたことが不思議です。おそらく、80系投入で南部に入ることが少なくなり、防寒対策強化ということで窓が改修された可能性が高いです。80系投入前は伊那松島区の車輛と豊橋中部天竜の車輛が連結されて運用されることもありましたが、80系投入後は、それがなくなってしまったため、南部での運用がかなり限定されるようになったのです。

 飯田線は旧形国電末期でも結構車両の変化が大きいので、身延線のような同定フローチャートづくりが難しいです。

 

最後に本車の車歴です。

1941.3.7 日本車輛製造 (モハ60035) 奇数向き→ 1941.3.11 使用開始 大ミハ → 1947.7 大ヨト → 1950.11.30 大ミハ → 1956.2.4 更新修繕I 吹田工 → 1956.3.1 大タツ → 1961.10.1 大アカ → 1970.2.3 静ママ →  1983.8.25 廃車 (静ママ)

 典型的な飯田線の縁の下の力持ちだった普通のクモハ54の履歴かと思います。