省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

韓国 Korail 中央線 旧安東 (アンドン) 駅を訪ねる

 8月に韓国に行ってきました。今回、中央(チュンアン)線・旧安東駅がどうなっているのか見に来てみました。

 韓国 Korail (韓国鉄道公社) は全国で KTX 網の整備を進めていますが、同時に多くの地域で速度の上げにくい在来線の線形を改善した新線への切り替えを伴っています。Korail 中央線は、2020年12月17日に、原州(ウォンジュ)-安東(アンドン)間のKTX化(2021.1.5) 目前にこの区間の大半が同時に新線に切り替わり旧線は廃線となりました。これにより、安東駅は、より西の場所(松峴洞[ソンヒョンドン])に移転し、旧駅は廃駅となりました。今回見てきたのはこの旧駅です。

安東駅

 かつて「安東驛」と書かれていた看板は모디(モディ)684 と書き換わっています。駅舎はそのままですが、休憩施設兼展示・公演場に改装されていました。

安東駅駅舎内現況

 旧安東駅の右手にあった観光案内所の跡地は「安東駅駅前風景」との看板が掲げられ、駅の歴史を伝える展示館になっていました。

安東駅駅前風景展示館

 中には駅の歴史を紹介したパネルがあります。

安東駅の歴史

 上のパネルから、安東駅の歴史を紹介します。安東駅は、1930年に竣工し、翌1931年慶北(キョンブク)線、醴泉(イェチョン)ー安東区間が開通し慶北安東駅として営業開始します。ちなみに現在慶北線は京釜線金泉(キムチョン)ー尚州(サンジュ)ー店村(チョムチョン)ー醴泉ー中央線栄州(ヨンジュ)を結んでおり安東を通過しませんが、かつては金泉ー尚州ー店村ー醴泉ー安東間を走っていたようです。因みに慶北線は私鉄 (朝鮮鉄道株式会社) として開通し、戦後になって国有化されたようです。

 ところが、朝鮮総督府 (鮮鉄) によって1937年京慶南部線 (現在の中央線) が着工され、1940年には友保ー安東間の竣工により、京慶南部線によって大邱方面とつながるようになります。なお、このパネルから抜けていますが、1942年に堤川ー安東間が開通して、京慶線(現中央線)は全通したようです。そして、1943年に安東鉄道事務所が発足する一方で、戦争遂行による資材不足で、京慶線と被る慶北線店村ー醴泉ー安東間が廃線となり、レールが撤去されます。

慶北線・中央線関連路線図

 戦後、1948年に、安東鉄道事務所が安東鉄道運輸局に昇格、1949年に慶北安東駅安東駅に改称され、1950年には安東鉄道局発足、1960年に現在の旧駅舎が竣工します。その後、1961年には安東鉄道局が栄州鉄道局となり慶北地域の鉄道の中心地は栄州となります。

 1976年には清涼里(チョンニャンニ)ー安東間に普急 (普通列車と急行列車の間の等級、日本で言う快速) 列車が運行されるようになり、1987年には清涼里ー安東間ムグンファ(無窮花)号運転開始、1988年にはセマウル号の運転が開始、1994年にはソウルー安東間トンイル(統一)号運転開始となります。

 1996年に鉄道庁の組織改編により、安東保安分所、施設・艤装・電気分所廃止となります。

 1997年には安東駅が拠点管理駅に指定、1998年には中央線複線化計画が本格的に始動しますが、その一方でモータリゼーションの波はひたひたと押し寄せ、2001年には中央高速道路が開通します。

 2003年には慶北総合観光案内所、特産品展示場が駅広場に開設、また安東駅給水塔が登録文化財49号に指定される一方で、2006年11月には中央線でセマウル号の運転が中止されます。2010年にセマウル号は復活しますが、2014年には再び廃止と、鉄道斜陽の波を被るようになります。ちなみに韓国鉄道庁が韓国鉄道公社 (Korail) になったのは2005年です。

 しかし、Korail 網の拡充で2020年に KTXが開通するとともに安東駅も松峴洞に移転し、旧駅は廃駅となりました。

 店村ー醴泉ー安東間が廃線となった慶北線は、1962年に店村ー醴泉間が復元されましたが、醴泉-安東間は復元されることなく、方向を変え、醴泉ー栄州が開通し、以前とは異なる経路となったようです。

汽車は追憶を載せて

 こちらは安東駅を往来した昔の機関車たちです。左上から、1940年代安東鉄道局の蒸気機関車、右上、1954年安東駅に進入する蒸気機関車、左下、1959年の安東鉄道局のディーゼル機関車、右下は、1965年安東駅に進入する鈍行列車です。

駅員の集合写真

 こちらは駅員の集合写真、1948年と、旧安東駅最後の2020年です。

 以下の写真は旧駅舎にあった安東駅金庫で、1930年に日本で作られました。

安東駅金庫

 製造元は、下の銘板を見ますと大阪にあった佐藤という会社によって作られたようです。なお、現在金庫やオフィス家具製造会社として佐藤産業という会社が浜松にあるようですが、こちらは戦後に創業されたようなので、この金庫の製造元ではないようです。

金庫の製造銘板

 以下は昔の切符です。必ずしも、安東駅で発行された切符ではありません。

硬券切符

 上一段目の切符は、おそらく子供用の切符だと想像がつくでしょうが、若干違います。赤字で書かれているのは、ハングルで「老小」とあります。つまり老人と子供が半額料金だったのです。また、一部斜めに切り取られた切符もありますが、これもかつての日本の硬券の扱いと同じで、「老小」と印刷された切符が用意されていない場合は、一部を切り取って小児用切符として取り扱ったものです。

 下は軟券です。昔の日本の国鉄の軟券とそっくりですが、おそらく日本国鉄マルスシステムをそのまま導入したものと思われます。

軟券切符

 下は改札鋏。日本と同じです。

改札鋏

 下は駅務員たちの写真。左上から中央線、文殊(ムンす)駅員 (栄州市内、新線開通で2020年廃駅)、その右、1960年代甕泉(オンチョン)駅員 (安東ダムの近くに所在、後、信号所に格下げ、新線開通で廃止)、その下の段、1960年代雲山(ウンサン)駅 (安東市内、2006年旅客扱い廃止、信号所化、2020年新線開通で廃駅)、1982年安東駅駅員、1983年西枝(ソジ)駅駅員(2006年旅客扱い廃止信号所化、2020年新線開通で廃駅)、1990年代駅員 (駅名不明)、最下段、武陵(ムルン)駅員(2007年旅客扱い廃止信号所化、2020年新線開通で廃駅)、1966年鉄道電話交換手。

駅務員の写真

 そしてかつての時代の駅務員による回想です。

当時の駅務員による回想

以下、上の翻訳です。

「貧しさで無賃乗車は日常茶飯事だった時代」キム・ソングン、クォン・オジン氏による回想

 昔安東から清涼里まで鈍行列車が走っていたでしょう。1959年頃、運賃が800ウォンか1000ウォンだったころ、旅客専務に600ウォンを握らせれば清涼里まで座って行けましたよね。座席指定ではなく、先着順に座っていたので。切符を買っても席がなければ立っていくしかなかったので。旅客専務の役割は車内秩序維持、社内業務、切符販売、けんかの仲裁がありました。当時列車内でタバコも吸えたので、火災がおこることもありました。こういったことを旅客専務が管理して、調整したんですよ。

 長距離列車には旅客専務が必要でした。堤川までの短距離列車には車掌が乗りました。

 その当時、車内の1/3は切符のない人でした。100名乗ったら、30名は、切符のないまま囲いの下から這って線路から乗りました。安東駅の場合駅派 (駅前派出所) 裏側からひそかに入って、空いた車輛に乗りました。鉄道職員はそういった人を捕まえて、運賃を徴収しますが、そうやって捕まると運賃の3倍を取られました。

 無賃乗車が横行していた時代でした。庶民にとって汽車賃は大きな負担でしたでしょう。旅客専務がパンチング機械で切符に穴をあけるのも、切符検査というより切符のない人を探すのがより大きな目的でした。旅客専務につかまると、洗面所に連れていかれ体中を探され、金を取られ、切符を売りつけられました。その時も支払い能力のない人は中間駅で引きずりおろされ、「無賃乗車1名降ろします!」と言いながらその駅に引き渡しました。

 常習的に無賃乗車をする人の中には、旅客専務や車掌が検札を始めると、座っていたおばさんのスカートの下や座席の下に隠れる人がいました。そうすると、おばさんがスカートを持ち上げて隠してあげることもありました。

 

 なお、当時鈍行列車だと安東ー清涼里間は7時間程度かかったようです。

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 ちなみに中央線の現況ですが、安東新駅は、2011年に移転した安東バスターミナルに隣接しています。

 安東から北に行く、ソウル清涼里方面へは、KTX-イウム号が1日8本、ムグンファ(むくげ)号およびITX-セマウル号が2 x 2 = 4本、他に、栄州から嶺東線を経由して東海駅に行くムグンファ号が3本、また南に行く列車は、東大邱に行くムグンファ号が2本、新慶州、東海南部線経由釜田行が3本となっています。運賃は清涼里までKTX は25100ウォン (普通座席)、ITXは、21100ウォン、ムグンファ号、15400ウォン、また東大邱までは、ムグンファ号、7800ウォンとなっています。所要時間の方はKTX は、2時間~2時間10分程度、ITXは、3時間弱、ムグンファ号は、2時間40分~3時間弱で、ITXとムグンファ号はほぼ所要時間は変わりません。ただしITXは携帯電話の無線充電ができたり、車内で電源が使える、とほぼKTXと同じ車内設備がある点が異なります。東大邱へは、所要時間1時間40分です。 

 さらに鉄道と競合する高速バスは、安東ー東部ソウルターミナル間は、平均1時間に1本程度で、料金 (座席3列の優等座席バス) は24400ウォン、所要時間約3時間、安東ー東大邱間、1時間に平均2本程度で、料金は12200ウォン (座席3列の優等座席バス)、所要時間約1時間30分となっています。またバスの場合仁川国際空港直通リムジン(途中、慶尚北道道庁、店村、醴泉を経由)が1日5回あり、料金は42000ウォン、所要時間約4時間30分 (270分) となっています。因みに仁川空港から鉄道で安東へ行こうとすると、空港からソウルまで約1時間、さらにソウルから清涼里まで30分は見ないといけないので、上のKTXの時間プラス1時間半~2時間半、料金的には、空港鉄道の直行列車を使った場合、9500ウォン、普通列車の場合、4750ウォン、さらにソウル、清涼里間が交通カード使用で1250ウォン (2023.10月より、1400ウォンに値上げ予定) というあたりです。なお、他の鉄道料金も2023年秋以降10〜15%程度値上がりする可能性があります。