省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

新前橋区の救援車 クモエ21005 (蔵出し画像)

 今回は、新前橋電車区にいた クモエ21005 です。

クモエ21005 (高シマ) 1977.5 新前橋電車区

 こちら逆光になってしまい、写真としては失敗なので、今まで公開を躊躇してきましたが、記録としてお見せします。当時逆光の場合露出を開け気味に撮るということも知らずに撮っていたので...

 パンタグラフを上げていますが、構内で牽引車代用として使われていたことが分かります。

クモエ21005 (高シマ) 1977.5 新前橋電車区

 こちらは反対側のオリジナルのままの運転台ですが、なんと ATS は B型しか設置していません。ということは単独で本線走行は無理だったということです。あるいは緊急時は ATS が合わなくても臨時に本線走行を可能にするような運用がなされていたのか、あるいは DL などがけん引する前提だったのでしょうか。沼津区の クエ28002 はほとんど客車のような運用が前提とされていたようでしたが...

クモエ21005 (高シマ) 1977.5 新前橋電車区

クモエ21005 (高シマ) 1977.5 新前橋電車区

 職員の方にご案内いただいて救援車の内部を撮らせていただきました。せっかくの機会をいただいて撮影したものですので記録として公開したいと思います。車輛の牽引に使うであろうケーブル類や発電機と思しきものが積んであるのが分かります。上は貫通運転台側、下は非貫通運転台側を望みます。室内灯は蛍光灯になっていました。

クモエ21005 (高シマ) 1977.5 新前橋電車区

本車の車歴です。

1927 川崎造船所 製造 (デハ73318) 東鉄配置 → 1928.10.1 改番 (モハ30120) → (1947.3.1 現在 東イケ) →1953.6.1 改番 (モハ11046) → (1956.1.1 現在 東イケ) → 1956.2.20 改造 日本車輛東京支店 (クモハ11126) → (1956.12.1 現在 東イケ) → 1958.6 東ヤコ→ 1960.4.25 東ナハ → 1967.7.4 東テシ → 1968.3.25 幡生工場 改造 高シマ → 1982.7.1 廃車 (高シマ)

 当車は、1927年川崎造船所にてデハ73318として製造され東鉄に配属されました。省電最初の半鋼製電動車としてモニター屋根を持つ姿で製造されました。翌年すぐモハ30120 に改番となります。1947年には池袋区にいたことが確認されますので山手線、赤羽線で使われたものと思われます。ひょっとすると最初から山手線用として使われたのかもしれません。1953年には形式称号改正で、モハ11046となります。そして、1956.2にモニタ屋根をシングルルーフの切妻に変える改造が行われ、モハ11126と 100番台を名乗るようになります。この間ずっと東イケを離れることはなかったようです。

 しかし、1958年に長年住み慣れた山手線を離れ南武線に転属します。さらに1967年には鶴見線に移りますが、転属1年もたたないうちに遠く幡生工場で事業用車に改造されその後は新前橋区に留置されます。写真でご覧のように構内入換用を兼ねていたようです。しかし製造後55年でついに廃車となりました。