省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

モハ41の最後に新製されたグループ 吾妻線のクモハ41047 (蔵出し画像)

 今回の車輛は、高崎地区で運用されていたクモハ41047です。以前紹介したクモハ41044と同様、モハ41として最後に新製されたグループで、電気溶接が採用されたためリベットがなくなっています。ただし044とは異なりヘッドライトは通常の形式に改修されています。以下の写真は吾妻線の運用に出発するところです。

 クモハ41044と同様運転台の窓がHゴム化されています。

クモハ41047 (高シマ) 1975.10 高崎駅

 後ろはクハ55403です。下は床下部分。

クモハ41047 (高シマ) 1975.10 高崎駅
床下 (空気側)

 そしてパンタ側連結面です。パンタグラフは灰色に塗られていました。

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クモハ41047 パンタ側 1975.10 高崎駅

 下は別の日、新前橋区で寝ている本車の姿です。幌が灰色に塗られていたのがはっきり分かります。全検は、51-6 大井工 となっていました。右隣はクモハ40044です。

クモハ41047 (高シマ) 1977.5 新前橋電車区

本車の車歴です。

1938.10.28 日本車輛製造 東鉄配置 → (1947.3現在) 東カマ → (1954.11現在) 千ツヌ → 1964.10.27 東ナハ → (1970.3現在) 高シマ → 1978.3.15 廃車 (高シマ)

 本車は、1938年日本車輛で製造され東鉄に配備されました。1947時点で蒲田区に配置されていましたので、おそらく最初に京浜線に投入されていたものと思われます。しかし、1950年頃の京浜線の4扉車集中配備により、総武線に押し出されたものと思われます。その後、103系の山手線新製配備により、山手線から移ってきた101系による新性能化が始まり、南武線に移ります。

 その後、鉄道誌の車輛の動き情報には情報が欠落していましたが、1967年6月に長野原 (のち吾妻) 線が電化されますので、おそらくそれに合わせて (1967年2~3月頃) クモハ41020, 023 とともに中原から新前橋に移ったものと思われます。なお、長野原線電化で使われたクハ55に便所設置工事が行われていたのが、1967年2月でした。その後10年ほど吾妻線両毛線などで活躍し、115系に置換らえて廃車となりました。