省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

やはり新潟国電第1弾としてやってきた、クハ68015 (蔵出し画像)

 以前紹介したクハ68021とともに新潟地区にやってきたクハ68015です。つらら切り、正面に突き出た独特なタイフォンカバー、スノープラウといった耐寒耐雪装備を備えるとともに、正面のジャンパ栓は3線、そして幌は両支持形の横須賀線仕様に改造されています。

クハ68015 (新ナカ) 1976.8 長岡

 本車は新潟の電車化第1弾として早くに新潟地区にやってきましたので、68015と同様、一切 Hゴム化されたところがなく、原形に近い美しい姿を保っていました。

クハ68015 (新ナカ) 1976.8 長岡

 反対サイドです。

クハ68015 (新ナカ) 1976.8 長岡

クハ68015 (新ナカ) 1976.8 長岡

クハ68015 (新ナカ) 1976.8 長岡

 本車は早く新潟にやってきたため、原形の半室運転台が改造されずそのまま残されていました。上の写真はちょっとぶれていますが... 以下、運転台の内部です。

クハ68015 (新ナカ) 1976.8 長岡

クハ68015 (新ナカ) 1976.8 長岡

クハ68015 (新ナカ) 1976.8 長岡

 正面助士席側にもワイパーが取り付けられていましたが、このワイパーは手動式でした。

本車の車歴です。

1934.3.30 川崎車輛製造 (クロハ59012) 大ミハ → 1942.3.14 改造 吹田工 (クハ68032) → 1944. 10.23 座席撤去 吹田工 & 改番 (クハ55146)  → 1948.11.22 座席整備 → 1953.6.1 改番 (クハ68015) → 1955.12.12 更新修繕 I 吹田工 → 1956.3.1 大タツ → 1962.4.27 新ナカニ  →  1967.11.15 新ナカ →  1976.10.7 廃車 (新ナカ)

※データ出典『関西国電50年』

 本車の車歴は以前ご紹介したクハ68021 と似ています。もともとは京阪神緩行線用のクロハ59 として製造されました。番号は偶数ですが、クロハ59はすべて奇数向きで製造されました。しかし、1942年、戦時体制突入で2等車廃止となり、3扉モノクロス化され、クハ68に改造されます。さらに座席撤去を受けクハ55に編入されます。戦後、座席再整備が行われ、さらに京阪神緩行線セミクロスシート回復でクハ68に改番されます。1956年まで一貫して宮原区に在籍していましたが、高槻区の開設でそちらに移り、さらに新潟地区電車化の第1弾として長岡第二機関区にやってきました。

 その後新潟地区で14年間活躍後、115系に道を譲りました。