こちらは、1996年3月、JR東日本で最後まで残った旧型国電定期運転、およびさよなら運転でのクモハ12です。この年の3.16のJR時刻改正で17m級国電を残さなければならなかった武蔵白石駅のカーブのきついホームが撤去され、103系電車が武蔵白石駅を飛ばして大川まで直通することになりました。なお、取り込みはVuescanを使ってスキャンしました。補正はリサイズ・不要部分のトリミング以外一切行っていません。本当は若干青みがかっているので、もうちょっとカラー補正を行った方が良いのですが、追加補正なしでこの程度までいけるということでこのままお見せします。このころカメラはNikonのFM2を使い、標準ズームの35-70mmを使っていたのではないかと思います。カメラが良くなっているのと、Vuescanを使って取り込んでいることでかなりしっかりした絵になっていると思います。以前スキャンしておいた鉄道写真もVuescanでスキャンしなおした方が良いかもしれません...
上の2枚は、クモハ12052です。運行されなくなって24年経過していますが、どうやら現在も車籍が横ナハのまま残っているようです。鉄道博物館には行かずに東トウに留置されているようです。この時全検は1993年1月に大井工場で受けていました。
こちらはさよなら運転 (1996.3.24) 時のクモハ12053です。全検から出たてのようにピカピカですが、写真から見ると1995年9月に全検を受けていますので、半年ほど経過しています。さよなら運転を前に、きっと鶴見線営業所(旧弁天橋電車区)の職員がさよなら運転に備えて、かなり磨きこんだのではないでしょうか?052にある窓の保護棒も撤去されています。
本車は僚機と共に東京総合車両センターに長年留置されていましたが、2010年2月27日に解体されたようです*1。
両車の車歴です。
クモハ12052
1929.12.11 製造 モハ31018 (川崎車両) 東鉄配置... 、 1947.3.1 現在 東シナ、1953.6.1 改番 31018→11210 東鉄、1954.1 東イケ→東ヤコ、1955.6東ヤコ→東イケ、1955 更新修繕II 汽車會社、1959.5東イケ→東ヤコ、1959.11.5改造 (大井工) 11210→12052 東ヤコ→東テシ、1987.4.1 JR東日本移管 1988.1 南テシ→ 東ナハ, 1996.10.1 東ナハ → 横ナハ
本車は、1929年川崎車輌で製造されました。1947年時点で山手線にいましたので、おそらく最初から山手線用として新製配置された可能性が高いと思います。一時南武線に転じましたが、再度山手線にもどり、1959年ついに山手線を追われます。その後、1959年に両運に改造後は鶴見線一筋でした。現在も中原に籍はあるようですが、1996年の現役引退後はかつての古巣、品川電車区の後身である東京総合車両センターに留置されているようです。
クモハ12053
1932.1.28 製造 モハ31088 (川崎車両) 東鉄配置... 、1947.1.1現在 東カノ、1953.6.1 改番 31088→11256 東鉄、1954.9.1現在 東イケ、1959.11.15 改造 (大井工) 11256→12053 東イケ→東テシ、1962.7.3東テシ→東オメ、1962.7.18東オメ→東テシ、1965.9.30東テシ→東ナハ、1978.5.30西ナハ→南テシ、1987.4.1 JR東日本移管 1988.1 東テシ→東ナハ、1996.10.1 東ナハ → 横ナハ, 2006.4.2廃車(横ナハ)、2010.2.27解体
本車は、1932年に川崎車輌で製造されました。1947年現在で中野区にいますので中央線用に配備されていた可能性は高いです。おそらく、1950年頃中央線の20m化で山手線に転じたものと思われます。その後、1959年に両運改造後は、一時青梅線に転じたことはありましたが、やはりずっと鶴見線約40年間活躍し、現役引退後も10年間は車籍を保っていましたが、2006年廃車、そして2010年に解体となりました。
*1:出典: