省型旧型国電の残影を求めて

戦前型旧型国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

蔵出し画像 福塩線 クモハ51067 (1977年3月)

 福塩線と言えば、旧国鉄で初めて1M方式で設計された新性能電車105系が、当線用に初めて配置され、それから40年近く活躍している、いわば1M方式新性能電車の原点と言えます。しかしその前に、全国唯一、新幹線ブルー(青色20号)単色に塗られた旧型国電が活躍して異彩を放っていたことを知る方はどれほどいるでしょうか。今回はその新幹線ブルー一色で活躍していた旧型国電の写真を紹介します。

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クモハ51067 (岡フチ) 福山駅 1977.3

 本車は、クモハ51067で、福塩線で活躍していたクモハ51の中で最も末尾の番号を持つ車両でした。本車は生粋のクモハ51ではなく、もともとは、大阪城東線用に投入されたモハ41でしたが、戦時中に、モハ43の台車と振り替えられ、モハ51の仲間に編入されたグループです。今回この写真は初めて公開しますが、実はオリジナルの写真は次のような状態でした。

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オリジナル

  ご覧になってすぐわかると思いますが、失敗写真です。一つは逆光で対象物が露光不足になっていること、もう一つは右側に赤い光線被りがみられる点です。この光線被りですが、フィルムを取り外すときにネガカラーフィルムをパトローネの中に完全に巻き入れ、そのまま光の当たる場所でフィルム交換すると起こりがちな現象ですが、まさにその典型例です。この当時は、まだそういうこともちゃんとわかっていまんでした。のちにその問題を認識してからは、フィルム交換の際にパトローネの中に完全に巻き込まないよう注意を払ったのですが... しかしマーフィーの法則ではありませんが、失敗したくない写真ほど失敗するものです。これを何とか補正する手段はないかと、ずっと思っていました。

 で、一度、マニュアルでの補正を試みましたがなかなかきれいに補正できません。そこで、今回、2/14, 28に公開したツールで、一応不均等黄変ネガフィルムの補正ツールの開発が一段落つきましたので、次の課題として光線被り補正ツールの開発に取り組んでいるところです。おそらくこういうことを考える人は世界中で他にいないようなので... 今のところ試作段階で、アルゴリズムやパラメーターの検討段階です。その試作段階の最初の成果が上の写真です。マニュアルでの補正は困難で、何らかの補正ツールが必要なケースです。

 現在のところツールだけで光線被りを完全に補正することは難しく、さらに手さぐりで、マニュアルの追加補正を加えています。逆光の補正に関しては RawTherapeeの[CIE色の見えモデル2002]を使って補正しています。とはいえ、まずまずのところまで行っていると思いますのでこうして公開してみました。

 ネガカラーフィルムの光線被り補正の需要がどれほどあるのかは分かりませんが、もうちょっと改良を加え、補正ツールや補正手法についてある程度完成を見ましたら、また補正ツールの公開や詳しい補正手法についての説明を発表していきたいと思います。

 

 さて、例によって被写体となっている車両の車歴情報です。

1932.7.21 日本車両東京支店製造 モハ41007 → 1932.12.8 使用開始(大ヨト) → 1944.1.30 座席撤去 → 1944.2.1 改造吹田工 (改番 モハ51064) → 1944.2.11 大ミハ → 1944.7.26 改番 51067 → 1948.5.28 大アカ → 1948.12.8 座席整備 → 1950.10.6 更新修繕I → 1954.4 静トヨ貸出 → 1954.5 大アカ返却 → 1956.8.30 更新修繕II → 1960.9.21 岡オカ → 1972.6.14 岡フチ → 1977.11.9 廃車

 本車は当初関西最初の国電(しかも国鉄最初の20m電動車)、モハ41007として城東・片町線用に淀川電車区に新製配置されました。但し生まれは関東です。しかし戦時中台車がモハ43と振り替えられモハ51に編入されました。当時は基本的に3扉セミクロスシート車は明石電車区に配置されていましたが、宮原区に配置されたのはモハ43の代替という意味だったと思われます。しかし戦後明石区に集約され、1960年に関西生活28年を終えて、岡山に転出しました。車令が古かったためか、1972年には府中区に移り、77年に113系の投入で阪和線快速運用から押し出されてきた70系に追われて廃車となりました。関西時代、途中、一度飯田線に貸し出しされた経歴があります。また福塩線の17m級国電の引退は1971年だったので、1972年に府中に移ったのは、おそらく一部状態の悪いクモハ41の代替として移動したのか、あるいは関東から移ってきたクモハ41をわざわざ関西仕様に改造するよりは、すでに関西仕様に改造されていたモハ51を活用したほうが経費節減になる、ということではなかったかと推測されます。距離の短い福塩線は76年までクモハ41がいましたし、ロングシート105系が40年近く活躍していることを見ても、あまりセミクロスシート車を配置する必然性があるとは思えませんので。それとも福山付近の山陽本線運用があったのでしょうか?