省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

飯田線のクモハ53007 画像再編集 & 蔵出し画像

 このブログを開設してすぐアップしたクモハ53007の写真ですが、今回は、前回掲載した写真はすべてスキャンし直し、もしくは再補正を行いました。そのほか、室内や部分写真など蔵出し画像を今回掲載しています。

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クモハ53007 伊那松島機関区 (1978.1)

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クモハ53007 天竜峡駅 (1980.5)

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クモハ53007 伊那松島機関区 (1978.1)

 

 上は前回掲載していますが、今回 Vuescan でスキャンしなおしたものを掲載します。Kodak のフィルムを使った写真ですがやはり Kodak だけあって Vuescan だと適切な色にスキャンできます。Kodak らしい色合いも再現されています。前回掲載した写真は、コニカミノルタの純正ドライバでスキャンしていましたが、それだと青2号の部分が濃い青紫にスキャンされていました。

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クモハ53007 中部天竜 (1978.5)

 この写真も Vuescan で再スキャンしていますが、こちらの方は大きな変化はありませんでした。フィルムはFujiです。

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クモハ53007 正面 伊那松島機関区 (1978.1)

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クモハ53007 客室内 伊那松島駅 (1979.8)

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クモハ53007 客室内 伊那松島駅 (1979.8)

 クモハ53007の客室内の写真です。ご覧のようにニス塗りではなく、モスグリーンのペイント塗装に変えられていました。ちょっと残念な点です。座席にひじ掛けはありません。クモハ52002にはありました。なお他にクモハ53007の客室内を写した写真はネットには出ていないと思います。貫通路ドアはプレスドアではありません。

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クモハ53007 客室内 (1976.5)

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クモハ53007 (1976.5) 豊橋駅

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クモハ53007 連結面 (1976.5)

 ご覧のように連結面の樋は丸樋でした。上の写真、フィルムのビネガーシンドロームで、フィルムが荒れていますがご了承ください。

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クモハ53007 連結面 (1983.6) 辰野駅

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クモハ53007 パンタグラフ PS-11 (1983.6) 辰野駅

 PS-11は、タスキがX字になっており、いかにもパンタグラフらしいパンタグラフでした。またばねが斜めにかかっているのもカッコ良い大好きなパンタグラフでした。最近のシングルアームパンタは物足りません。

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クモハ53007 前照灯背面 豊橋駅 (1976.5)
右はクモハ61

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クモハ53007 DT-12A台車  豊橋駅 (1976.5)

 通常のDT-12とは異なり、コロ軸受けでした。これはクモハ52も同様です。

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クモハ53007 床下機器  豊橋駅 (1976.5)

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クモハ53007 床下機器  豊橋駅 (1976.5)

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クモハ53007 伊那松島機関区 (1979.8)

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クモハ53007 伊那松島機関区 (1979.8)

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クモハ53007 伊那松島機関区 (1982.8)

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クモハ54と並ぶクモハ53007 豊橋駅 (1978.5)

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クモハ53007 中部天竜駅近傍踏切 (1978.5)

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クモハ53007 伊那松島機関区 (1977.7)


 最後に本車の車歴です。

1937.8.24 川崎車両製造 (モハ43041) → 1937.11.30 使用開始 (大ミハ) → 1944.10.11 大アカ → 1948.12.13 座席整備 → 1949.9.3 大ミハ → 1950.9.27 天オト → 1953.6.1 改造 吹田工 (53007) → 1954.8.13 更新修繕 吹田工 → 1958.2.13 静ママ → 1983.11.29 廃車

 本車はモハ52に続く急行用として製造されましたが、モハ52はスカートがあり、乗務員室扉がない等不便だったため、通常の半流となり、「合いの子」の愛称で親しまれました。戦前の国電デザインの頂点・集大成に立った車両と言えます。番号はモハ43の追番となり、本車は最終番車となりました。しかし戦後、阪和線時代に出力強化改造を受け、モハ53007と改番されました。その後、飯田線伊那松島機関区に転属となり、1983年に廃車になるまで飯田線の伊那地区を中心に活躍しました。「合いの子」グループの中では最後まで張り上げ屋根が維持された唯一の車となりました。関西地区で21年間、そして飯田線で25年間を過ごしました。