本車は1975年3月以降の身延線車両にあって、唯一ノーシルノーヘッダーだった車両です。それ以前は流電の元中間車だったクハ47がいたり、合いの子がいたりしましたが、飯田線や中央西・篠ノ井線に移り、本車が唯一となりました。
他のクモハ60は、一旦常磐線から御殿場線用に沼津機関区に転入してから、その後身延線に転用されましたが、本車は大阪から直接身延線に転入してきた唯一のクモハ60でした。
また、前照灯も埋め込みが維持されていました。これも身延線では本車が唯一でした。とはいえ大型化されているので原型そのままではありません。
窓から垣間見える内部ですが、モスグリーンではなく、どうやら身延線のクモハ60としては珍しくニス塗りが維持されていたのではないかと思います。内部の写真を撮っておけばよかったのですが... これは大阪から直接身延線に来たためだと思います。
幌枠がしっかりついていますが、これは大阪地区で使用されていたためです。
全検は、51-1 大船工となっていました。
本車の車歴です。
日本車輌製造 (60018) 1940.6 使用開始 東カマ → 1950.6.13 東マト → 1953.11.8 更新修繕 日本車輛東京支店 → 1967.7.8 天オト → 1967.10.1 大ヨト → 1970.2.17 静ヌマ → 1970.7.8 改造 浜松工 (60800) → 1981.11.27 廃車 (静ヌマ) ※51(1976)-1 大船工 全検確認
本車は大阪からやってきたといっても、元は関東向けモハ60でした。モハ60の第1次車は集中的に京浜線に配備されましたので蒲田電車区にいて、1950年に、京浜線の63統一の方針で常磐線に転出、さらに常磐線の新性能化で大阪地区へ転じ、さらに身延線の17m車淘汰で関東近くへ舞い戻ったようです。このため、身延線のクモハ60の中では唯一運転台窓がHゴム化されていました。転入当初は関西型通風器をつけていたようです。
なお、1-3位側の写真が撮れていませんが、以下の記事にある写真を見ると...
news.mynavi.jp 1-3位側の客用扉の形状は下記のようです。つまり2-4位側と対称だったようです。
--------------------