省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

身延線 クモハ60802 (蔵出し画像)

 こちらは身延線のクモハ60ですが、この車両とは比較的縁があまりなく、写真を整理したらこの2枚しか出てきませんでした。カラー写真も1枚も撮れていません。ですが、一応両サイド撮れています。

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クモハ60802 (静ヌマ) 1981.6 富士電車区

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クモハ60802 (静ヌマ) 1981.6 富士電車区

本車の車歴です。

日本車輛製造 (60073) 1942.3.28 使用開始 東鉄 → (1947.3 東ツヌ) → 1953.11 更新修繕I 東急車両 → (1954.11 ~ 1956.3東マト) → 東イケ →  1957.4 東シナ → 1958.9 東マト → 1967.12.26 静ヌマ → 1970.7.15 改造 浜松工 (60802) → 1981.10.19 廃車 (静ヌマ)

 本車は1942年に日本車輛にてモハ60073として製造されました。東鉄に配属され、1947年の時点では総武線で使われ、その後、首都圏のクモハ60最大牙城であった常磐線に移動します。鉄道雑誌の転属の記録では、1957.4に東イケから東シナに移動とあります。その通りだとすると東マト→東イケ→東シナと移動したことになりますが、ひょっとすると東マトから東シナの誤記の可能性があるかもしれません。ただ山手線にいたのは一時ですぐ常磐線に復帰します。おそらく電車の更新修繕や、全金属改造などで車両が一時的に足りなくなったため、山手線に呼ばれたのではないでしょうか。

 そして、1967年の御殿場線電化で沼津機関区に移動し、さらに身延線17m車淘汰のため、1970年に低屋根改造され、その後11年間、身延線で活躍しました。ずっと関東とその周辺を離れなかった車両となりました。正面も典型的な関東顔でした。

 なお、室内はペイント塗だったかどうかですが、他の方が撮られたカラー写真から戸袋窓の内側がモスグリーンに塗られているのが垣間見えましたので、おそらくペイント塗だったのではないかと思います。クモハ60はロングシートで、背もたれなどが外から見えませんので特定が難しいです。

 なお、本車の特色として、60804と同様テールランプの上にステップ(?)が設置されています。これは旧形国電としては一般的ですが、静鉄の車両はこのステップが下に移設されているものが大半で、上に残っているのは珍しいです。

 

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yasuo-ssi.hatenablog.com