こちらも、身延線旧形国電末期の日常輸送の主力として活躍していたクモハ51です。本車も828と並んで関西色豊かなクモハ51だったことが特徴で、関西型通風器が残っていた点、そして床下機器を見ると関西生まれのクモハ51だったことがすぐ分かります。通風器も塞がれていません。
側面幕板に関西特有のサボ受けが残っているのが見えます。また前面通風器も原型のまま残っていました。
運転台を左手に見て表側(南西側)の床下機器は空気系が配置されています。これはもともと関西下り向け仕様で製造されたためです。関東仕様のクモハ51は、電気系であり、これは関西に行っても方向転換されることはありませんでした。
荷物車代用で、運転台のところに臨時に幕を張って荷物を載せているところです。後に国鉄の荷物輸送は民営化前に廃止されてしまいますが、当時は盛んに行われていました。また客室内のニス塗りも維持されていました。
こちらは連結面です。51-8 大船工 という全検時期の表示が見えます。右は55440です。樋は平樋に改修されていました。
やはり連結面ですが、上の写真の約1年前です。右はクハ47059です。全検は 49-7 大船工となっていました。
なお、裏側(北東)側面の写真が撮れていませんが、ネット上に上がっている他の方が撮られた写真を見ると、客用ドアの形状は、2-4位側と全く同じだったようです。
では、本車の車歴です。
1937.7.31 日本車輛製造 (51050) → 1937.8.27 使用開始 大ミハ → 1937.12.10 大アカ → 1944.5.1 座席撤去 → 1954.11.30 更新修繕 吹田工 → 1965.3.1 大タツ → 1970.2.17 静ヌマ → 1970.6.17 改造 浜松工 (51826) → 1981.9.12 廃車 (静ヌマ)
本車は関西向けのモハ51として1937年に日本車輛で製造されました。関西において当初から偶数向きで製造されましたので、1-3位側が電気機器側となっています。また電気側の配置は関西タイプでした。おそらく吹田工場で電装されたものと思われます。関東のモハ51は座席撤去の際、モハ41に編入されましたが、本車はそのまま51として京阪神間を33年走ったのち、万博対策で103系の京阪神緩行線への投入が始まることで、17m車クモハ14淘汰のため身延線に転じ、浜松工場でパンタグラフ部分の低屋根化工事を受けて51826となりました。なお、京阪神緩行線のクモハ51は、153系の配備で宮原区から80系が高槻区に押し出されてきた影響で、1962年頃に明石区に集中配備されましたが、本車はなぜか1965年に高槻区に移動している点が珍しい経歴となっています。その後11年間身延線を走ったのち、新性能化で廃車となりました。
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