こちらは身延線の原形クハ47の一両である、クハ47003です。先に43系のクハ58を47に編入した47100グループを紹介しましたが、こちらは32系の由緒正しいクハ47です。身延線のクハ47の中には運転台窓がHゴム化されていない車両も結構ありましたが、その大半はサハ48を改造したもので、早いうちに富士電車区に移った車両の大半は運転台窓がHゴム化されてしまっていました。本車は身延線にいたオリジナルクハ47グループの中で唯一正面の運転台窓がHゴム化されていない、美しい姿をとどめていた車両です。クハ47を代表する車は、と言えば真っ先に挙げられるのが本車でしょう。
とはいえ、更新修繕で前面の雨樋が直線だったものがRを持つように改修され、元々なかった運行灯も設置されました。樋も丸樋から平樋へ、さらにベンチレーターも交換されています。
上は運用離脱後、疎開留置されているときの姿です。運転席の窓にはデフロスターは備えられていません。また原形クハ47ですので、ワイパーも2台ついています。
富士駅、2番線ホームに入った姿です。
本車の車歴です。
日本車輛製造 1931.2.26 使用開始 東チタ → 1950 更新修繕I 大宮工機部 → 1950.10.24 静フシ → 1957.6.29 更新修繕II 豊川分工 → 1969.4.11 静ヌマ → 1981.12.19 廃車 (静ヌマ)
20年間横須賀線で走ったのち、東海道ローカル・身延線用として富士電車区に移り、そのまま30年間身延線のヌシとして50年間活躍しました。横須賀線から身延線移動した車両の中では本車が一番乗りだったようです*1。つまり1951年の70系配備の前に、大阪から43系が転入してきたことで既に都落ちが始まっていたということです。なお原形クハ47の内、運転台窓のHゴム化を逃れたのは、本車と飯田線の009だけでした。やや早めに更新修繕を受けたせいかもしれません。
なお、室内はニス塗りが維持されていました。おそらくクハ47の大半はニス塗りが維持されていたのではないかと思います。
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