省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

身延線 クモハ60804 (蔵出し画像)

 こちらは身延線を走っていたクモハ60です。運転台の左側の窓にRがついていたのがアクセントになっていました。ご覧のように2-4位側の床下機器が原型通り電気になっていましたが、これは元々クモハ60075で奇数向きだったものを身延線転用の際に偶数に転換したためです。

 元々関東の旧形国電は方向にかかわらず1-3位側空気、2-4位側電気でしたが、戦後80系の登場の際、長時間海岸線沿いを走る可能性があり、しかも偶数車は2-4位側が海側になることから、偶数車は奇数車とは反対に1-3位側を電気になるよう製造されました。そして、既存の旧型国電もそれに合わせて更新修繕の際、偶数車の床下機器の方向転換が行われました。しかし、本車は奇数車でしたので、機器の方向転換は行われていませんでした。

 身延線転用時に低屋根化と共に本車は偶数に転換されましたが、その際床下の方向転換まで行われませんでした。身延線入線時に方向転換された車の床下機器の方向転換が行われたのは60年代前半までだったようです。

 なお、本車の特色としてテールランプの上にステップ(?)が設置されています。これは旧形国電としては一般的ですが、静鉄の車両はこのステップが下に移設されているものが大半で、上に残っているのは珍しいです。

 なお戸袋窓から垣間見える内側がモスグリーン(淡緑1号)に塗られていますので、身延線のクモハ60のご多分に漏れず、客室内はモスグリーンに塗られていたと思います。

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クモハ60804 (静ヌマ) 1979.5 富士駅

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クモハ60804 (静ヌマ) 1981 富士電車区

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クモハ60804 (静ヌマ) 1981.5 富士電車区

本車の車歴です。

日本車輛製造 (60075) 1942. 3.28 使用開始 東鉄 → (1947.3現在 千ツヌ) → 1951.2 更新修繕I 大井工 → (転属時期不明) 東マト → 1953.12 東ヒナ → 1954.1 千ツヌ → 1955 更新修繕II 東急車両 → 1955.2 東イケ → 1958.9 東マト → 1968.3.10 静ヌマ → 1970.7.24 改造 浜松工 (60804)  → 1981.12.19 廃車 (静ヌマ) ※最終全検 55(1980)-5 大船工

 本車は1942年に日本車輌で製造され東鉄に配属されました。1947年の段階では総武線にいましたが、1953年に横浜線に移る直前には常磐線にいたことがわかっています。更新修繕Iを期に移った可能性が高いと思いますが。その後総武線、山手線と点々とし、1958年に再度常磐線に戻ります。おそらくあまり調子が良くなく、たらい回し状態だったのではないかと思います。更新修繕を受けて状態が改善したのか、常磐線に移ったあとは10年間やや安住状態となりますが、1967年から始まった103系の投入を受けて御殿場線に移動、さらに身延線の17m車淘汰のため、低屋根化され身延線に転じます。結局身延線での11年間が一番長かったようです。

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