省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

青梅、五日市線の増結用だったクモハ40073 (蔵出し画像)

 青梅線の旧形国電がなくなるという情報を鉄道誌で知って、慌てて駆け付けた青梅線での撮影です。クモハ40は青梅線では青梅以西には入らず、青梅ー立川間および五日市線の朝夕の増結に限定され運用されていました。青梅線では 17m 車時代は、17m 車も奥多摩までは行っていましたが、20m 車になってからは奥多摩ー青梅間を運行する電動車は 73系に限定されていました。おそらく 100kw の MT-15 では 20m 車で満員の乗客を乗せ山岳区間を走るのは力不足と判断されていたためと思われます。ちょうど1950年以降の山手線と同じような考え方だったと思われます。

 今日でこそ青梅ー奥多摩間は、乗用車の普及でガラガラになってしまい、かつて日中でも30分に1本運転されていた列車間隔も1時間に1本に減車となっていますが、当時、週末はハイキング客で満員のお客さんがありました。20m の 100kw 車では力不足と判断されてもやむを得ない状況だったと思います。

 これ以外に下河原線が運行停止になるまでは、そこでの運用もあったようですが、当時は知りませんでした。

クモハ40073 (西トタ) 1976.10 拝島

 立川寄りの増結の運用に就くクモハ40073 です。

クモハ40073 (西トタ) 1976.10 拝島

クモハ40073 (西トタ) 1976.12 青梅

 青梅駅で昼寝中のクモハ 40073 です。新性能車の導入を控え電留線の改良工事も行われていました。

クモハ40073 (西トタ) 1976.12 青梅

 こちらの写真では、内部客室がモスグリーンに塗られていたのがはっきり分かります。

本車の車歴です。

1936.3.2 川崎車輛製造 東鉄配置 → (1947.3.1 現在) 東カマ → (1954.9.1 現在) 東カノ → 1961.4.16 東オメ →  1971.2.1 西トタ → 1980.12.15  廃車 (西トタ) ※

※当時の鉄道誌では 1977.11.30 廃車とあり

 本車は 1936年に関西の川崎車輌でにて落成しました。しかし配置は東鉄で、1947年に蒲田区にいることから、おそらく初配置もそこではなかったかと思われます。しかし、おそらく1950年頃に京浜東北線の、連合軍専用車以外の 4 扉車統一を受け中野区に転属、中央緩行線の増結用に使われたものと推定されます。『タイムスリップ中央線』(大正出版) の 1955年の写真を見ると、中央緩行線の東京寄りにクモハ40が増結されているのが見られます。しかし、1961年に青梅・五日市線に移り、新性能化まで活躍しました。なお廃車時期ですが、『旧形国電台帳』では、1980年12月となっていますが、当時の鉄道ピクトリアル誌、ファン誌では、1977.11.30 とあります。ただこちらは40072と取り違えた可能性があります。旧形国電台帳の記録が正しいとすると、新性能化後もしばらく牽引車代用として使われていたのではないかと思われます。

 関西生まれでしたがずっと東京圏で使われました。