省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

関西生まれのノーシルノーヘッダー車 阪和線のクハ55071 (蔵出し画像)

 1940年に登場したモハ41の後継は出力強化したモハ60となりましたが、同時に資材節約のためノーシルノーヘッダーというすっきりした姿で登場しました。このノーシルノーヘッダーのモハ60の相手となる1940年に登場したクハ55もノーシルノーヘッダーで登場しましたが、関東にも配備されたモハ60とは異なり、ノーシルノーヘッダーのクハ55は関西のみに登場しました。おそらく列車編成の短い関西向けはクハ55, 長い関東にはサハ57 投入という方針だったものと思われます。本車は関西向けクハ55の中の1輌です。阪和線が新性能車に統一されるまで使用されていました。

 初期に城東線、片町線用に配備されたモハ40, 41, クハ55 は客用扉脇の列車種別表示用のサボが設置されていませんでしたが、本車は3扉ロングシートながらも、戦時色漂っていた当時、京阪神緩行線でも使われる可能性を考慮してか、列車種別表示用のサボが設置され、関西生まれであることを示していました。

 1935年以降登場した車輛は、運転台左側助士席側の窓は暑さ対策で2段窓になっていたので、後年、関西で運転台窓の H ゴム化が進行しても、原形のまま残されるケースが多かったのですが、本車は両方とも H ゴム化されています。

クハ55071 (天オト) 1976.3 和歌山

クハ55071 (天オト) 1976.3 鳳

本車の車歴です。

1940.7.31 川崎車輌製造 → 1940.8.11 使用開始 大ヨト → 1944.2.28 座席撤去 → 1948.12.8 座席整備 → 1950.9.28 天オト → 1952.3.11 大ヨト → 1952.7.6 東カノ → 1953.1.12 大ヨト → 1953.8.30 大ミハ → 1954.1.19 大アカ → 1954.3.23 大ヨト → 1955.10.4 更新修繕I 吹田工 → 1958.2.6 大タツ → 1962.5.1 大アカ → 1965.10.1 大タツ → 1967.5.11 天オト → 1977.7.25 廃車 (天オト)

 本車は1940年に川崎車輌にて製造され、最初は城東、片町線用として淀川区に配置されました。戦後は一時阪和線に移りますが、戦時中の酷使がたたったのか、そのあとたらいまわしの歴史が始まります。一時は東京の中野区に移りますが、当時の中野区は4扉車に統一されていたはずで、厄介払いで関東に押し出されたとしか思えません。中野区側も押し付けられて困惑したのではないかと思います。案の定すぐ淀川区に押し戻されます。更新修繕後は、主として京阪神緩行線で使われましたが、その中でも電車区を転々としました。

 結局1967年に社形国電一掃のため、常磐線から新性能化で捻出されたクモハ60一党が大量に阪和線に投入されるのに合わせて、本車も阪和線にやってきました。その後は、意外にも長く阪和線で使用され、そのまま阪和線の新性能化完了まで比較的長く使用されました。あるいは阪和線に配備後、Hゴム化と合わせて、大きな車体の改修が行われたのかもしれません。