省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

身延線のクモハユニ44800 (一部蔵出し画像)

 何といっても身延線旧形国電時代の象徴的存在というと、クモハユニ44の存在でしょう。本車はもともと横須賀線用として製造されましたが、1950年代に身延線に移動します。1両は大糸線で使われたこともありましたが、大糸線にはクモユニ81が移ってきて、最終的には全車が身延線に集結しました。

 以前ネットにアップした画像もありますが、大半は今回蔵出しする画像です。

f:id:yasuo_ssi:20220124224631j:plain

クモハユニ44800 (静ヌマ) 1977.9 富士電車区

f:id:yasuo_ssi:20220124230630j:plain

クモハユニ44800 (静ヌマ) 1981.7 富士電車区

f:id:yasuo_ssi:20220125084924j:plain

クモハユニ44800 (静ヌマ) 1981.8 富士電車区

 

f:id:yasuo_ssi:20220125161014p:plain

クモハユニ44800 (静ヌマ) 1981.6 富士電車区

f:id:yasuo_ssi:20220125161421j:plain

クモハユニ44800 (静ヌマ) 1981.7 富士電車区

f:id:yasuo_ssi:20220125181723j:plain

クモハユニ44800 (静ヌマ) 1979.5 富士電車区

f:id:yasuo_ssi:20220125181818j:plain

クモハユニ44800 (静ヌマ) 1979.5 富士電車区



f:id:yasuo_ssi:20220125182551j:plain

クモハユニ44800 (静ヌマ) 1981.6 富士電車区

f:id:yasuo_ssi:20220125182628j:plain

クモハユニ44800以下 1981.5

f:id:yasuo_ssi:20220125183241j:plain

クモハユニ44800以下 1979.5

f:id:yasuo_ssi:20220125192018j:plain

クモハユニ44800 (静ヌマ) 1981.6 富士電車区

f:id:yasuo_ssi:20220221103159j:plain

クモハユニ44800 (静ヌマ) 1981 3位側連結面 甲府駅

 ところで、この車両、運転台を左としたときに、表側が空気側、裏側が電気側になっています。ところがクモハユニ44803では逆に表側が電気側、裏側が空気側です。

f:id:yasuo_ssi:20220125210418p:plain

クモハユニ44803の運転台を左にしたときの表側

 なぜこのような違いが出ているのか不思議ですが、こちらのページにその謎を解く手がかりが書かれていました。元々関東では一律に運転台を左にしたときに表側が電気側、裏側が空気側とされていました (関西の京阪神間用電車は、塩害を避けるため海側が空気、山側が電気とされました。従って左を運転台としたとき、偶数車両は表が空気裏が電気、奇数車輛は表が電気、裏が空気でした)。しかし、上のページの記述によると、70, 80系登場から東西別なく海側が空気、山側が電気とされ、既存の車輛は更新修繕の際に機器配置の移設や方向転換が行われたということです。従って、44803がオリジナル (更新修繕の際は大糸線にいたはずですので変更がなかったのでしょう)、44800は更新修繕II の際に機器の移設があったものと思われます。

 関東で海側山側が気にされなかったのは、海岸ぎりぎりを走るような路線があまりなかったからでしょう。横須賀線も、海岸のすぐそばを走る区間は田浦-横須賀間のごくわずかな距離です。しかし80系が登場すると小田原以南でかなり長い距離、海岸沿いを走ります。80系以降になって関東でこのような問題に気付かれるのは当然です。関西の京阪神間は須磨-明石間でかなり長い距離、海岸沿いを現在も走っています。また埋め立ても現在より進んでいなかったので全般的に海からの距離が近かったはずです。

 かつて富士電車区が担当した静岡ローカルも、清水-沼津間でかなり長い距離海岸沿いを走りますので、クモハ14は当然機器の配置換えを行ったでしょうし、クモハユニ44も、東海道ローカル運用がなくても、それに倣ったと思います。ただ1963年の東海道ローカル80系移管以降は、あまり気にする必要はなくなったかと思います。

 

最後に本車の車歴です。
 汽車会社東京支店製造 (モハユニ44001) 1935.3.10 使用開始 東チタ → (1950頃) 静フシ → 1957.3 改造 & 更新修繕II 豊川分工→ 1959.6.1 改番 (クモハユニ44001) → 1960.1.19(1959.12.22 との資料もあり) 改番 (クモハユニ44800) → 1969.4.11 静ヌマ → 1982.2.12 廃車 (静ヌマ)
 本車は1935年に汽車会社東京支店で製造されていました。横須賀線用の荷物郵便合造車として製造されましたが、年代的に43系の時代でしたので、唯一の関東地区に投入された43系となりました。1954年の段階で44002, 44100(後のクモハユニ64000)と共に、既に富士区にいました。おそらく1950年田町区へのモハユニ81の投入で余剰となり、社型電車置換用として富士区に移ったものと思われます。低屋根化されたのは1957年のようです。但し改番日は遅れ、「旧形国電台帳」によると1959.12.22とされていますが、当時の鉄道雑誌では1960.1.19とされていました。低屋根改造はクモハ14に倣って、全面的に低屋根の切妻とされました。長年身延線のヌシとして活躍しましたが、115系化に当たり、クモユニ143に置き換えられました。しかしやがて国鉄自体が郵便・荷物輸送から撤退してしまいました。

 身延線に移ったのが1950年とすると、31年間身延線で活躍したことになります。クハ47はモハ14と共に早くても1951年の70系投入後移ってきたと思われますし、その後投入された115系身延線配置後 26-7年程度で廃車になってしまいましたので、おそらく44801とともに身延線在籍最長不倒記録となっていると思います。

 なお、Wikipediaの記述では、1956年に身延線に転出したように読めますが、1954年の車両配置のデータですでにクモハユニ44は富士区にいるので、それはあり得ません。1954年現在で田町区にモハユニ81が配備されているので、1950年のモハユニ81の投入で富士区に移ったと考えるのが自然です。ただ他のクモハ14と同様に1956年度に低屋根化されたということかと思います。

---------------

yasuo-ssi.hatenablog.com