省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

やはりあまり御縁のなかった 身延線 クモハ51806 (蔵出し画像)

 やはり写真を整理してみたら、1枚しか出てこなかったのがこちらのクモハ51806です。しかもちょっとシャッタースピードが遅くてぶれています。ただ、この車、51822とは異なり、ネット上に結構写真が出ています。私がまじめに撮らなかったのか、あるいはやはりあまり御縁がなかったためかと思います。

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クモハ51806 (静ヌマ) 1980.12 富士電車区

 

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2-4位側のドア

平樋

本車の車歴

1936.3.19 日本車輛製造 (51006) 東ミツ ... 1944.3. 9 改造 大井工 (41061) → (1947.3現在 千ツヌ)→ 1950.9.17 大ミハ → 1952.3.12 改造 吹田工 (51006) 大ミハ → 1952.9.3 更新修繕I 吹田工 → 1956.3.1大タツ → 1957.6.17 更新修繕II 吹田工 → 1961.10.1 大アカ → 1970.2.10 静ヌマ → 1970.7.24 改造 浜松工 (51806) → 1981.9.8 廃車 (静ヌマ)

 本車は、1936年に東京・中央線向けモハ51006として日本車輛にて製造されました。しかし戦時中に座席を撤去しモハ41に編入されます。おそらくその際に総武線に移ったものと思われます。戦後は津田沼にいましたが、1950年にモハ43一党と交換で大阪に移ります。そしてモハ51として復帰します。その後20年間を京阪神間で過ごします。『関西国電50年』を見ると、本車の更新修繕II後の1959年の写真が掲載されていますが、その当時はまだ原型の側面の方向幕表示器が残っていました。但し関東向けだったので側面幕板のサボ受けはありませんでした。おそらく戸袋窓のHゴム化の際に方向幕表示器が撤去されたのではないかと思います。

 なお、本車は元々半室運転台でしたが、大阪時代に、2次車と同じ形状の全室運転台に改造されていました。

 1970年に身延線17m車淘汰のため、沼津にやってきて、その後11年間を身延線で過ごしました。なお、客室内はモスグリーンに塗潰しされていました。

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yasuo-ssi.hatenablog.com